皆さんこんばんは。このブログを始めて、かれこれ一年ちょっとになるのに、いつまで経っても完全私的主義が社会現象になり、一大ムーヴメントを巻き起こさないことに疑問を感じているアレックスです。
…まぁまずならないだろうね。
だって、基本的に誰にも教えてないから。
だって、知り合いに見られると恥ずかしい内容しか書いてないから。
いわゆる私の恥部である。
ブログを書いてる。っということをツレに話すと、必ずと言っていいほど「見たいけんURL教えてや。」っという問いかけが返ってくる。
私は「絶対ヤダ。」っと一蹴。
だから、逆に完全私的主義を知っている人の方がレア。
そして、今夜そのレアで完全私的主義のディープなファンであるF氏からお電話が掛かってきました。
今日も更新する気は特になかったんだけど、F氏と映画談義(主に戦争映画談義)をしていると異常にテンションが上がってしまい、このやるせない気持ちをブログにぶつけることにしました。
それと噂の作品観っちゃったから。
『井王、嶋からの手紙』
あ…ごめんごめん。あまりにカープの試合に熱中しているのが仇になりました。
『硫黄島からの手紙』
ハッキリ言って、今日は長いです。覚悟してください。
ってかさ、まず映画の総評や感想とか言う前に、映画の中で全体的にみんなボソボソ喋るから何言ってんのか分からない。
じゃあ、音量上げれば?っていうことになるんだけど、私の部屋のDVDプレーヤーに繋いであるスピーカーは全部で4つ。その4つあるスピーカーのうち、2つはやたらデカイ。
その為、ボソボソ話しているシーンの声に合わせて音量を上げていると、劇中で不意な爆撃があった場合、まるで私の部屋に着弾したかのような轟音が鳴り響く。
昼間に観ているなら、外も騒がしいから気にもならないだろう…が、寝付けずに私がこの映画を部屋で上映し始めたのが深夜2時前。そんな地響きとも思えるほどの重低音。
家族が実際の空襲と勘違いして家から避難しかねない。
それでもリモコン片手に音量をその都度微調整しながら見続けた。
んで、やっとここからが私の感想。
この映画での二宮君の好演の噂は聞いてはいたものの、実際それなりにいい演技をしていたと思うけど、言葉遣いとかはどうだろう……戦時中の若者というよりは、何となく現代っ子っぽく感じてしまった。
ただ、映画のクライマックスでの渡辺謙演じる栗林忠道陸軍中将の最期のシーンで死に逝く栗林中将を直視するのではなく、遠くを見ながら物凄い絶妙のタイミングでポロッと零れ落ちる涙と二宮君の表情は一見の価値があると思う。
それよりも印象に残っているのは、渡辺謙の演技や立ち振る舞いが素晴らしいのは、もはや誰もが認めるところ。謙さんもいい。それと同じくらい私が印象的だったのは中村獅童演じる伊藤海軍大尉である。
中村獅童って、女グセの面で性根が入っちょらんけど、軍人の役をやらせると国内では1、2を争うほどハマると思う。
二宮君演じる西郷昇陸軍一等兵は戦争に仕事を奪われただけでなく、自分も徴兵されたことにより、大きな声では言わないが心の中では戦争には批判的。
それとは対照的に、伊藤海軍大尉の役は完璧なまでに人間から軍人としてコンバートされた役である。コレがいい按配でキレてる。実際、戦時中の日本兵って、こんな人がたくさんいたんだろうケドね。
全体的な印象としては、戦争映画でよくある惨たらしい描写などは極めて少なく、重視しているのが戦争の残虐性よりもドラマ性であったりするのだろうか。それを強調するために個々の家族やそれぞれのここに行き着くまでの人生を多く取り入れている気がする。
惨たらしいシーンが観たいわけではないのだが、濃いめの戦争映画を好む私としては、戦争映画の評価としては若干物足らない気がした。まぁ、惨いシーンを入れないことでイーストウッドが万人ウケを狙ったのかどうかは私には分からないが。
それと、酷評ばかりに思われるかもしれないが、伊藤剛志演じる西竹一陸軍中佐が米兵を助けて部下に治療を命じ、その後その米兵と仲良くお話しするシーンはハッキリ言ってわざとらしく見えた。
だから何?実際に事実も西竹一陸軍中佐がそうしたのかもしれない。結局戦争しているのは国の事情で、それぞれの国の兵士が憎しみあうものではないことを強調したかったのかは知らないが、取り入れ方や映し方が何かわざとらしく見えて、あのシーンがあることで映画の中の世界からフッと我に返る。取り入れるにしても、もう少し巧くやってほしかった。
ただ、この映画に出てくる日本人キャストって、いつものよくある洋画に出てくる米的先入観で作り上げられた“変な日本人”と違うから、そういった面では日本人の我々は安心して作品に集中できる。
時代とはいえ、完璧に狂った日本がこの映画の中にある。実際はこんなもんじゃなかったんだろうけどね。
生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ。
当時のこの言葉の通り、追い詰められた日本兵達は、米兵に囚われて捕虜になることよりも玉砕を選ぶ。
皆で輪になり、手榴弾の安全ピンを抜き、その手榴弾を胸に抱き、一人ずつ順々に自決していく。映像的な惨さこそないものの、追い詰められ、不本意ながらも国の教えからそうすることを余儀なくされた精神的なエグさが描かれてある。
きっとこの世に存在する一番の極限状態が戦争だろう。
確かに極限状態の中、語るべき“美談”はあると思う。
だけど、どれだけの美談があったとしても、決して戦争の本質や実態そのものを“美化”することは出来ないし、絶対にしてはならない。
例え、争うことが人間の本質だったとしても、せっかく“知恵”を備えた人間がその本質、本能のままに行動してたんじゃ獣と同じ。
でも、せっかく備わった“知恵”も人を殺すために使われているのも戦争の事実で悲しい現実。
過去にこの地球上で起きた大小数え切れない戦争、紛争、内戦がある。だけど、戦勝国ではなく、世界中の人々が口をそろえて『いや~あの戦争はやってよかったよねww!』っていう戦争がないのは、それぞれの戦争で必ず戦没者がでて、戦没者よりも多くの遺族がでているから。
つまり、それだけ多くの悲しみという大きすぎる礎があるからこそ、現在の日本が平和である。これも逃れようのない事実。
戦争あっての平和。戦争と平和は表裏一体。だから、歴史上での戦争そのものを完全に否定することが出来ない。
この矛盾がムズ痒い。
コレを書いている今も世界のどこかで争いが起こっている。
今年に入ってテロで民間人5000人以上が死亡している。
戦争や内戦だけが理由ではないのだが、それも含め、国の事情などで全世界に学校に通いたくても通えない子供達は約18%…つまり、五人に一人の割合である。
これらの現実を私たちはどう捉えていくべきだろうか。
犯罪が増えたとはいえ、国レベルでは戦争もなく極めて平和で、不景気とはいえ限りなく贅沢な日本に暮らす私たちが考えなければならないこと。戦争で唯一核爆弾を投下された広島、長崎が訴えなければならないこと。強いては日本が国として率先して世界にしていかなければならないこと。
きっと、戦後60年を過ぎ、戦争の悲劇や現実が人々の記憶から薄らいでいく中、それを見直す時がきているんだと思う。
たかが映画の話から大げさだと思う?
違う。戦争映画っていうのは、あくまで史実を簡潔に映像化しただけ。それは、数十年前には現実だったことを忘れてはいけないと私は思う。
以上、これだけ個人で書いても、憲法九条の改正案などの今の日本の風潮として、知らず知らずドンドン右翼化していってることが恐ろしくてたまらないアレックスでした。
そんな左翼なアレックスがカラオケで最初に歌う曲。
…すみません。コレがオチです。悪質な冗談です。でもこの時は熱唱しました。
追伸、F氏…硫黄島からの手紙観たら、感想聞かせてね♪
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